大江宏作品のいま


大江宏の作品は、私立の建物も多く、
近年、取り壊されているものが少なくありません。

「このままでは、大江宏の作品がこの世から姿を消してしまうのでは…」
と危機を感じた私たちが実際に取材した、
大江宏作品の現状と考察を、ここに記します。





香川県立丸亀高等学校
MARUGAME HIGH SCHOOL
香川県丸亀市  1960

主要用途|教育施設
構造設計|青木繁研究室
設備設計|建築設備設計研究所
施工|小竹組
延床面積|4851.72
構造規模|鉄筋コンクリート造  一部ブロック  4階
工事期間|195811月~19605
掲載誌|『建築文化  19617月号』彰国社,『現代日本建築家全集  12』三一書房


 大江が丸亀高校に設計した4つの校舎のうち最も古い丸亀高校本館は,ほぼ同時期に大江が手掛けた法政大学55/58年館(19551958)との間にいくつかの共通点と相違点が見受けられる。
 最も興味深いのはエキスパンションジョイントの意匠上の処理である。55/58年館におけるエキスパンションは立面の画一性を乱すネガティブな存在として捉えられ,骨組みのスパンの操作まで行いこれを消去する設計がなされているが,丸亀高校本館では逆に立面を構成する重要な要素として扱われている。
 丸亀高校本館の立面図を下に示す。6スパンからなる2つの建築が中央で接続されており,南立面では前面に突き出た2本の梁によってエキスパンション部分 校舎の中心軸が強調され,“均一な立面”から“シンメトリーの立面”へと変化している事が分かる。
 南・北立面それぞれで全く違う顔を見せる55/58年館と同様に,丸亀高校本館も南立面とは異なる操作が北立面で行われている。南立面では重要な意匠であった対の梁は1階部分に影を潜める一方で,今度は丸亀高校の象徴でもあるオレンジタイルを纏った2つのボリュームが立面の主役となっている。両者はその意匠,大きさ,位置全てにおいて異なり,“シンメトリー”が強調された南立面とは対照的に北立面を“アシンメトリーの立面”へと導いている。
 丸亀高校本館のエントランスに配された2本の円柱の写真に注目して頂きたい。リノベーションによって壁に埋もれてはいるが,今我々がいるこの市ヶ谷田町校舎(旧62年館,1962,大江宏)でも,木目を帯びた2本の円柱が,エントランスで優しく出迎えてくれる。この柱からも大江宏の意思が垣間見えるはずである。
[石井 翔大]





エントランスホールの円柱と階段
校舎の要の空間であるエントランスホールは、人々を迎え入れる2本の円柱と、垂直に校舎をつなげる階段によって構成されている


リズミカルに柱が並ぶ廊下
交互に並ぶ円柱と角柱、意匠的な梁がつくり出すリズムと陰影が、廊下の空間を演出する


力強さと軽やかさを兼ね備えた造形
降り注ぐ光に輪郭を強調された階段と、木質の手すりが醸す線型性により、ダイナミックな造形美が現出される


立体的に交差した教室の梁
むき出しのまま交わる梁によって、教室という空間に動きが生まれる


象徴的なタイル
地域の人々の記憶に呼びかける鮮やかなタイル



丸亀城内堀に映える姿
凛とした佇まいは城下町の風土に溶け込んでいく


全ての教室を繋ぐバルコニー
南側に巡るバルコニーは、生徒の交流と集いの場となり、校舎ににぎわいを与える


丸亀城天守より望む
丸亀城との関係など、周辺環境とのつながりを十分に意識して校舎全体の設計が行われている


校舎を包むバルコニー
南側だけでなく、東西側面まで連続的にバルコニーが巡り、開放性が確保されている


市中を一望できる屋上庭園
鮮やかな校舎のタイル、澄んだ空、新緑の樹木による色の競演が、丸亀の風景に彩りを添える





梅若能楽学院 UMEWAKA NOH THEATRE
東京都中野区  1961

主要用途|能楽堂
構造設計|青木繁研究室
設備設計|建築設備設計研究所
施工|竹中工務店(舞台:山田組)
建築面積|868.4
延床面積|1,653.6
構造規模|鉄筋コンクリート造  3階
見所客席|375
工事期間|196010月~19618
掲載誌|『建築文化  196112月号』彰国社,『近代建築  196112月号』近代建築社,『現代日本建築家全集  12』三一書房

Adobe Systems 周辺の環境は随分と様変わりしてしまったが,今日においても50年以上の歳月が経過したとは感じさせない艶と張りがある。
 1950年代,カーテンウォールが印象的な法政大学校舎の設計で華々しくデビューした大江であったが,1954年の最初の海外旅行によってその建築観が大きく変化することとなる。インターナショナルスタイル一色だと思っていた世界には,未だに風土や伝統,文化,歴史によって彩られた風景が存在していることを知る。
 さらにこの海外旅行の経験は,日光東照宮修理や明治神宮造営に携わり,日本建築の伝統の継承に深く関わってきた父・新太郎から受け継いだその血液を奮い立たせることとなる。
 1960年代以降,大江は,自らが生み出す現代建築の中に,「気配」や「間」といった,建築と人間の感覚とが互いに対話し,移ろいゆく時の流れが生まれる空間をつくり出そうとする。「梅若能楽学院」は,そうした流れの,ひとつの転機とも言える,最初の建築である。
 コンクリートの柱と梁,大きなフラットな屋根が生む水平・垂直の造形に,不定型なHPシェルの屋根が重なるその外観からは,さっそく法政大学校舎とは異なる設計思想が窺える。ピロティから内部へとひっそりと導かれると,中央にひときわ存在感のある階段が現れる。左手には外からの光が注ぐ喫茶空間がある。中央の階段は,1枚の大きな木の壁を回るように折れ曲がりながら上昇していく。この壁により階段を上る者の視線は限定される。木の格子状の天井の下,踊り場で身体の向きを変えれば,その天井を支える木を纏ったコンクリートの柱が現れ,その先に明るい光が見えてくる。2階へたどり着き,さらに身体の向きを2度変え,重たい扉を開けたその先に,能の空間が待ち構える。コンクリートの躯体と木の意匠に囲まれ,能舞台に,舞台を囲むように見所(客席)がある。演劇などの舞台とはつくりが異なり、舞台の周りに見所があり,見所の中に舞台があるような、舞台と見所はまさにひとつの空間,ここには小宇宙が存在している。
 梅若能楽学院は決して大きな建物ではない,そしてこの小宇宙までの道のりも決して長いものでもない。しかし,3次元的に折れ曲がる動線により絶えず視線は変化し,ひとつひとつ世界が移り変わり,身体そして精神ともに躍動していく。その先にこの小宇宙が待ち構えている。わずかな歩みの中で織りなされる空間と時間の変化は,まさに日本の庭や住まいに刻み込まれてきた日本建築の精神に通じる。
 丹下健三は,「軸」を用いて都市へと向かう時間を超越した新たな現代建築をつくり出した。他方大江は,時間と空間が織りなすわずかな変化を巧みに操り,日本建築の伝統を受け継ぐ現代建築の在り方を示したのではないか。 [根岸 博之]





HPシェルの屋根に覆われた能楽堂

矩形の基壇部からふわりと浮きあがったHPシェルの屋根に、能舞台は覆われている



能楽堂の中心を貫く大階段
空間の中心に据えられた大階段によって、視線は建築の対角線方向へとダイナミックに抜ける


混合された野物と化粧
のちに「混在併存」を主張する事になる大江だが、ここでは野物と化粧は混在というよりも混合されている


木の格子状天井に覆われた2
能舞台へと誘う2階は、自由奔放な1階とは対照的に、天井を覆う木の格子によって一定のリズムが与えられている


1階を縦横斜めに走る木の化粧
やりたい事を詰め込んだという大江の言葉通り、1階は様々な意匠要素で彩られている


草木に覆われた物静かな外観
コンクリートのみで構成された外観は、周辺の住宅地に溶けこむ物静かな表情を見せている


装飾された開口部
物静かな外観の中にも、開口部には遊び心が見受けられる